【vol.13】なぜかピラミッド裏ツアーの発起人となる

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 ルクソールで一緒に行動を共にした中根君と、昨夜狭いバスに耐えなんとかカイロに着いた私は、ルクソールの宿でうわさで聞いた「深夜のピラミッドに上る裏ツアー」があるという、カイロの安宿ホテル「サファリ」に向かった。「サファリ」は混んでたため、同じビルのホテル「スルタン」になったが、ビルが同じであればつながりで、「裏ツアー」は敢行されるとも聞いていた。とにかくここでの目的はただ一つ、その裏ツアーへ参加することだ。当然ここで説明するまでもないが、ピラミッドに上るなんて普通無理、初日ピラミッドにいったが、警備の人が見張っていたので出来るはずもない。「それを可能にするツアーとはいったい何?」と疑問に感じていた。
 ホテルには、日本人が沢山いる。バックパッカー系のスタイルがほとんど、中には何ヶ月もいるツワモノがいる。しばらくいて様子を見ていたが、「ツアーの話」は何もでない、「昼間だからか」と思い、とりあえずカイロ観光に出かけた。エジプト博物館など、一通り歩きまくり、ホテルに戻った。
 しかし、夕方になっても、一向に変化は見られない。「いったいどうなってるの?何のために来たの?」などあせりが生じた。そこで今度は待ってるだけではだめだと、「裏ツアー」の情報を聞き込みで集めはじめた。すると、そのホテルの重鎮たちによると、「ツアーというのは、あくまで名前であって、その実態は、自分達で企画して、自分達で実行するもの」とのコメント。つまりホテルの人間や旅行代理店が募るものでないのだ。ようやく「裏ツアー」の意味を悟った私は、そのホテルにある過去のピラミッド登頂成功日記なるものを読破し、ノウハウを吸収した。
 そして、各部屋に回り、参加者を募った。声をかけると「よし、いくか!」と、「その意見を待ってました」とばかりに7人の同志が集まった。
 いつの間にか発起人となってしまった私だが、流れに任せるように「裏ピラミッドツアー」のツアーコンダクターとなってしまったようだ。「決行は深夜2時。その時再び集合だ」と告げ、私は高まる興奮を抑えつつ、夜10時に床に就いた。「いよいよ、決戦の時」が近づいた。

 <旅行記:1996年3月1日>◇9日目◇エジプト(カイロ)